フジテレビ系で1993年1から1999年までお茶の間を楽しませてくれていた番組に「料理の鉄人」がありますが、見られた方も多いともいます。
和食、中華、フレンチなど腕自慢の料理人が「鉄人」と呼ばれる料理の鉄人を相手に料理の腕を競い合うバラエティ番組です。
“出でよ!アイアンシェフ!”初代美食アカデミーの主宰、鹿賀丈史さんの掛け声です。
その番組に挑戦者として出演し、和の鉄人と呼ばれる人を相手に3勝2敗の成績を挙げた、関西を代表する料理人がいます。神田川俊郎(本名・大竹俊郎)さんです。
神田川俊郎さんが、新型コロナウイルスに感染し、25日未明、大阪市内の病院で死去されました。81歳でした。
また一人コロナで貴重な命を失うことになりました・・・心よりご冥福をお祈りいたします。
神田川俊郎さんの足あと
神田川俊郎(かんだがわ・としろう)さんは、本名・大竹俊郎。1939年11月15日、京都府生まれ。父と祖父も料理人。
神田川さんは1939年、京都に生まれ、中学校を卒業後、大阪の老舗料理店「なだ万」などで修業し、その後独立、創作おでん店の開業を経て、1965年に大阪・北新地で「新日本料理」を提唱した割烹料理店「神田川」を開店されます。
モットーは、『花に水、人に愛、料理は心』
この心を胸にテレビの料理番組にも多数出演し、お茶の間を楽しませてくれていました。<日本テレビ系「2時のワイドショー」内のコーナー「神田川料理道場」は視聴者の人気を集めた。>
また、テレビ番組「料理の鉄人」で、和の鉄人と称されていた“道場六三郎さん”や、「なだ万」の後輩・“中村孝明さん”との対決は今でも語り草となっているほどです。
「料理は心や!」の“決めぜりふ”と共に話題を呼んだのもこのころからです。
神田川さんは、時には「関西料理界のドン」として自らが包丁を握ったり、全日本調理師協会名誉会長として後進の育成にも励み、講演会も精力的に行っていました。
神田川俊郎さんコロナ感染
神田川さんは大阪市内の自宅の浴槽で倒れているところを妹に発見され、病院に搬送されたが、そこで新型コロナ陽性が判明。16日から入院していた。
病院では、人工心肺装置ECMOによる治療で、血液の酸素濃度も正常値に近い状態に戻り「良くなってきた、!」と親族は喜んだが、呼吸が回復せず容体が急変したという。
コロナで不幸にもなくなっていった遺族の方のほとんどが、コロナ感染の恐れがあるため最期を看取ることができないことです。
志村けんさんしかり、岡江久美子さんしかり・・・神田川さんも家族は看取ることができなかったそうです。辛いです!!!
密葬の後、コロナの状況が落ち着けば、改めて告別式を開く意向だそうです。
改めてご冥福お祈りいたします。
神田川俊郎さん最後のお仕事
神田川さんは最近では、プロ野球・西武のOBの好物を取り上げ、コラボした「ライオンズレジェンドOBプロデュース弁当」(※)を監修。
(※)埼玉西武ライオンズのレジェンドOBの好物や出身地にちなんだ料理を和食料理人の神田川俊郎氏が監修し、完成させたお弁当。
4月6日(火)~4月29日(木) 第1弾として東尾修氏プロデュース弁当が販売されていました。
5月3日に販売スタートされる秋山幸二氏の弁当が“最後の逸品”となる。YahooNewsより引用。

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